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I. 文明科学研究所について

About Bunmei-ken

5. 文明科学研究所の歴史

 文明科学研究所の起源は、1974年の芸能山城組の誕生に遡ります。インドネシア・バリ島の伝統的共同体の人々が群集の総合力を精巧にアレンジして展開する驚異の祝祭芸能"ケチャ"との出逢い、そのインパクトは近現代文明に標準的な組織原理に基づくにすぎなかった前身の合唱団を自壊に導き、アーティスト山城祥二こと科学者大橋 力を組頭とする芸能山城組が生まれました。

 山城組は誕生の折から、地球生態系を蝕みその犠牲の上に繁栄を築く道を何の疑いもなく驀進している近現代文明の崩壊をいち早く予見するとともに、危機回避の道を切り拓く志を深く宿していました。この志は、芸能山城組誕生一周年を記念して1975年の初頭に催された第一回芸能山城組全国大会で早くも顕在化します。この大会で組頭山城祥二は、「もっとも貴いもの」と題する講演を行いました。個人を最上位におき生態系や地球をそれに従属させる西欧起源の価値観に支配されたこの文明の前途に待ち受ける自壊を回避するために、地球生態系に暫定的に最高価値を置くことを提唱したのです。このような考え方は、三千年紀を迎え絶望的ともいえる地球の危険に直面している現在では、鋭敏な知性、感性を持つ人々にとってなじみ深いものになっています。しかし、偽りの繁栄に酔う1970年代においては、時代感覚や時代意識との隔たりがあまりにも大きく、実際のところそれらと完全に乖離していました。この全国大会には、日本を代表するもっとも先進的な学者や芸術家が何人か参列していらっしゃったのですが、そうした方々でさえ、「最初は何を言っているのか全然理解できなかった。あまりにも先駆的な問題意識だったので」という状況でした。ちなみに、ジェームス.E.ラヴロックが地球への価値観を高めようとして、それをひとつの生命体と捉える「ガイア仮説」を提唱したのは、この講演から遅れること4年後の1979年のことです。

 こうして歩み始めた芸能山城組は、近現代文明の所産である自分たち自身をも批判の対象としながら、西欧近現代文明が抱える深刻な問題を抽出して自分たち自身に提起し、合唱や芸能、祭りづくりなどパフォーミング・アーツを通じてそれに代わりうる何物かを探求して行きました。そのやり方は、机上に空論を築くのではなく、実践を通じて仮説を検証する歩みを重ねるというものです。1975年に創刊した綜合雑誌「地球」は、山城組の提唱する実践的文明批判とその検証内容を世に発信するメディアとして機能し、1981年に刊行した「群れ創り学」(山城祥二著 徳間書店刊)はそれらの中間総括となりました。

 山城組草創期の1970年代の日本は、西欧近現代文明が絶頂期を迎えつつある時代ですから、私たちの考え方、やり方は、その時代の潮流に真っ向から立ち向かうものとならざるをえませんでした。あまりにも早すぎた私たちの文明批判は、故小泉文夫先生(東京藝術大学教授)、中村とうよう先生(音楽評論家)、辻井喬先生(作家)などきわめて限定された一部例外的な方々の支えと励ましによって、かろうじて維持できたのも事実です。もうひとつの重要な背景は、私たちは、その文明批判を、社会運動や政治活動の形をとることをせず、もっぱら音楽・芸能ジャンルの営みとして進めたことです。あわせて、ボランティア集団という群れの内部での「身内の実験」という枠組を厳密に守りました。こうしたやり方の選択が、歴史と社会から烈しい「向かい風」を受けながらも何とかその存在を「許容」されることを可能にした、という戦略上の妥当性も無視できません。

 こうした私たちの取り組みは時とともに少しずつ結晶化して、1981年、「文明科学研究所」の誕生に至りました。所長には、芸能山城組の組頭山城祥二こと大橋 力が、名誉所長にはKJ法の開発でよく知られた文化人類学者、川喜田二郎先生(当時、筑波大学教授)が就任しました。また、芸能山城組の多彩な活動の展開と発展を遂げる実体に合わせて、「芸能山城組」「祭仲間山城組」「実験集団山城組」の掛け替え自在な3つの顔をもつ「山城組総組」へと改組改名し、先行している実体に名称を近づける対応もとられました。

 文明科学研究所は、一方では伝統的な共同体社会の叡智に学び、一方では、この地球の危機を導いた元凶である科学技術という近現代文明最大の武器を奪取し自家薬籠中のものとして活用しながら、この文明に対する実践的な批判を続けてきました。その歩みを振り返ってみると、1980年代前半までは、西欧近現代文明の抱える問題や限界を抽出して整理するとともに、文明批判の拠点となる群れ創りを進める実験と実践に取り組んだ時代でした。地球生態系の中での生命体のふるまい、情報環境とヒトとの関わり、人類のさまざまな群れのもつ制御メカニズムなどに関して実験科学的なアプローチを展開し、日本を含む非西欧圏へのフィールドワークも本格化しました。なかでも、1983年、組頭山城祥二がアフリカ最深部の旧ザイール・イトゥリの森に入って取り組んだ森の生態系とそこに棲むムブティ・ピグミーの調査では、人間本来の環境とライフスタイルを捉え、その後の文明批判や研究の基準となる貴重な視座を獲得するものとなりました。1984年には、自然性と人為とを巧みに組み合わせて快適な情報環境を創出しているバリ島への調査研修合宿を山城組全体で初めて実行し、その様子は、NHKが特集番組「魔女ランダの祭り」を組んで全国に紹介しました。

 1980年代の中盤以降は、文明批判の基本的な枠組や方法論そして実際の取り組みも大きく成長しました。そこから私たちが送り出すようになった従来の通念を覆すアウトプットに対して時折襲いかかる既存の学会や業界などの猛烈な反撥についても、原理の異なる複数の科学的な手法を統合して強固な反証を重ねるというスタイルを確立しながら、研究の稔りを質量ともに急速に高めていきました。

 それらの中でも、1984年の、可聴域をこえる超高周波が人間の脳と体に与える影響の発見の報告が音響界をはじめ各界に与えた衝撃は大きく、朝日新聞朝刊のトップで紹介されるという科学記事としては異例の取り扱いを受けています(新聞記事の写真を可能なら入れる)。なお、この歴史的な発見は、科学者・技術者・芸術家が一人の人間のなかに共存するメタファンクショナル・リサーチアクティビティだから得られた成果の典型例というべきものです。この発表から十数年の歳月を経た時点までに、単機能専門化に閉塞した学会や業界の猛反撥をいわば壊滅させ、SACD、DVDオーディオやハイレゾなど超高密度音響メディア開発の世界的動向を導くところとなりました。

 1987年には「プログラムされた自己解体モデル」を発表し、人類の遺伝子と脳に約束された環境からの逸脱が人体にもたらす深刻な影響を指摘しました。1989年には、『情報環境学』(大橋 力著 朝倉書店刊)が刊行され、物質・エネルギーに情報を加えた新しい環境観、そして最近ようやく注目されるようになった生物学的情報概念などを提唱しています(著書の写真を入れる)。

 1991年、アメリカ・ニューヨークで開催された音響工学会では、前述の超高周波の人間に及ぼす影響を〈ハイパーソニック・エフェクト〉と命名して発表し、2000年には、その最新の知見を論文にまとめてアメリカ生理学学会論文誌に発表、以後5年近くの年月を経た時点でも、同誌のウェブサイトで読まれた頻度の高い論文ベスト3位以上に途切れることなく入り続けていました。2003年に刊行された『音と文明-音の環境学のことはじめ-』(大橋 力著 岩波書店刊)は、山城祥二こと大橋力の文明批判と実践的な研究との集大成であり、あわせて文明科学研究所のアクティビティをいかんなく発揮する媒体ともなりました(著書の写真を入れる)。また、2017年に満を持して刊行された『ハイパーソニック・エフェクト』(大橋 力著 岩波書店刊)は、この現象の科学的バックボーンを詳細に解説し、応用の実例を惜しげも無く公開するだけでなく、科学と藝術、理科と文科が分離し専門分化した現代の知の枠組みをいかに超越してこの発見に至ったかを、発見者・大橋自身が一人称で語るという、科学史・科学哲学の観点からも貴重な記録として注目を集めています(著書の写真を入れる)。

 2000年代に入ると、地球環境の破壊や人類の魂の荒廃などは誰の目にも否定できない深刻な事態を露わにしています。文明科学研究所が指摘し続けてきたこの文明の導く危機は、もはや取り返しがつかないほどの状況に陥っています。それに伴い、喜ぶべきか悲しむべきか、これをいち早く予見し、その克服の道を究めてきた文明科学研究所の実践的な試みに対する社会の評価は一気に高まってきました。このような体験を通じて、私たちは、歴史が私たちに課した使命をあらためて痛感せざるを得ません。メタファンクショナル・リサーチアクティビティをさらに研ぎ澄まし、地球が抱え込んだ混迷から抜け出す方略を試行し先導する必要性と重大性はさらに高まっています。

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